大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(行ス)4号 決定

抗告人 大阪入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 宗宮英俊 西村省三 ほか二名

相手方 黄金禄

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告の趣旨及び理由

別紙記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  本件記録によると、相手方は大阪入国管理事務所入国審査官より出入国管理令第二四条第一号に該当するとの認定を受けたので、口頭審理の請求をし、さらに同事務所特別審理官の右認定に誤りがないとの判定に対し異議の申出をしたところ、昭和四九年八月二八日法務大臣より右異議の申出は理由がないとの裁決がなされ、その結果、同年同月二七日抗告人より本件退去強制令書(以下、本件令書という)が発布され、相手方は本件令書に基づく執行により大村入国者収容所に収容されたことが認められ、相手方は昭和五〇年二月一五日抗告人を被告として出入国管理令異議裁決無効確認等請求の本案訴訟(大阪地方裁判所昭和五〇年(行ウ)第五号)を提起したことが明らかである。

2  そこで、相手方に本件令書に基づく送還部分の執行停止を求める理由があるかどうかの点について検討するに、相手方の提起した本案訴訟の判決確定前に本件令書に基づく送還が執行された場合、これによつて相手方に回復困難な損害が生ずる恐れがあり、右損害を避けるべき緊急の必要があることは、右処分の性質、送還先が韓国であることなどからして容易に推認されるところである。

そして、相手方は本案について、本件令書による処分は確立された国際法規ないし憲法第九八条第二項の違反並びに裁量権の濫用ないし逸脱により無効であることなどを請求原因とするものであるところ、これに対して、抗告人は、本件令書による処分は何らの暇疵もないからその本案について理由がないときに当り、また、本件令書に基づく執行の停止をすることは公共の福祉にも重大た影響を及ぼすものである旨主張するけれども、本件記録によつても、右本案について直ちに理由がないものと認めることはできないし、また、送還部分だけの執行停止が公共の福祉に重大たな影響を及ぼす恐れがあると認めるべき資料は全く存しない。

したがつて、本件令書に基づく執行は、送還部分に限り本案訴訟の判決の確定に至るまで停止すべきものであるといわなければならない。

3  以上の次第で、相手方の本件執行停止申立は送還部分に限り正当として認容すべきところ、これと同旨の原決定は、本案について理由がないとみるかどうかの点についての判断を避け(右の点について、原審において抗告人の主張があるから、必ず判断を示すべきである。)右と一部理由を異にするが、結局相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 増田幸次郎 仲西二郎 福永政彦)

(別紙)

抗告の趣旨

1 原決定を取り消す。

2 相手方の本件執行申立を却下する。

3 申立及び抗告費用は相手方の負担とする。

抗告の理由

一 原決定には次のとおり憲法三二条及び行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)二五条三項の解釈を誤つた違法である。

1 行訴法二五条三項は、執行停止することができない旨定めている。

しかるに原決定は「……処分の適否の点についての判断はしばらくこれを措き」執行を停止すべき「緊急の必要性がある」ので「請求の理由の存否について判断するまでもなく強制送還部分の執行の停止を許すべきであり」として行訴法二五条三項所定の要件を無視して執行停止決定をなし、しかもそれが「憲法三二条の趣旨にも合致する」としている。

(一) しかしながら、そもそも行訴法が執行停止の制度を設けてこれにより申立人に仮の救済を与えることとした趣旨は、いわゆる執行不停止の原則(行訴法二五条一項)を前提としたうえで、各個の取消訴訟事件について、執行停止の申立を受けた裁判所が、その時点において、本案審理の結果により将来において原告勝訴の判決に至るべき具体的可能性を否定しえない場合に限つて、該判決により保障されるべき権利・利益を保全しようとするものにほかならない。したがつて少なくとも裁判所の判断により「本案について理由がないとみえるときにあたる」とされる場合には、右の前提を欠くため執行停止は許されないものとされているのである。けだし、裁判所が本案審理を経るまでもたく原告勝訴の見込みがないと判断しうるような事案についてまでも行政処分の効力ないし執行の停止を許すならば実際上、被処分者の権利濫用ともいうべき提訴という事実のみによつて、常に本案判決(の確定)まで相当長期間にわたり、行政について責任を負う立場にない裁判所の判断ひとつで当該行政処分を休眠させうることになり、これによる行政の停廃が到底容認すべからざることは言をまたないからである。このように手続の前提を欠く場合に関し、たとえば訴の利益を欠くとの理由で本案審理を経ることたく敗訴判決を受けた原告が憲法三二条違反を理由として申し立てた上告事件において、最高裁判所は「憲法三二条は訴訟の当事者が訴訟の目的たる権利関係につき裁判所の判断を求める法律上の利益を有することを前提として、かかる訴訟につき本案の裁判を受ける権利を保障したものであつて、右利益の有無にかかわらず常に本案につき裁判を受ける権利を保障したものではない。また、法律上の利益のない訴訟につき裁判所が本案の審判を拒否したからといつてこれがため、訴訟の当事者たる個人の人格を蔑視したこととなるものではなく、また右個人をいわれなく差別待遇したことと

なるものでもない。」(昭和三五年一二月七日最高裁大法廷判決昭和三二年(オ)第一九五号民集一四巻一三号二九六四頁)と判示して上告を棄却しているのである。

(二) 憲法三二条は訴の利益を欠く者についてまでも本案裁判を受ける権利を保障したものではないことを明らかにした右判旨は、一般に退去強制令書発付処分取消請求訴訟における執行停止の申立てが「本案について理由がないとみえる」ことを理由として却下されたうえ送還が実施される結果本案訴訟の追行に支障を来たす場合についても、事理において異ならないのである。すなわち、憲法三二条は常に執行停止を受けることにより本案の裁判を受ける権利を保障したものではなく、申立が「その本案について理由がないとみえるとき」にあたらないことを前提としたうえ、裁判所の判断により右の前提要件を充足するとされる申立にかぎり、将来原告勝訴の場合における権利の保全を目的として仮の救済を認めることとしたものであつて、右の判断すなわち執行停止に関する裁判を受ける権利は常に保障されるとしても本案の裁判を受ける権利は執行停止の裁判があつた場合にその裁判の効力の及ぶ範囲・限度において保障されるものと言うことができる。そもそも憲法の保障する基本的諸権利も絶対的に無制限のものではなく、一定の制約に服することはいうまでもない。憲法三二条に規定する裁判を受ける権利も同様であつて、その行使の目的、方法、態様等によつては権利行使の効力が認められないことは既に最高裁判所の判決の示すとおりである(昭和三五年一二月七日大法廷判決)。裁判所の判断により「本案について理由がない」とされる場合であるにもかかわらず送還忌避の目的で訴を提起した者は裁判を受ける権利を濫用するものにほかならず、この場合にまで理由の有無を問わず常に執行を停止すべしとすることは決して憲法が裁判を受ける権利を保障しようとする趣旨に適合するものではないのである。しかも我が国の憲法は近代法治国家の例にならつて三権分立の原理を採用している。すなわち、裁判所は一切の法律上の争訟について裁判権を認められているが、これは行政権に対する監督的権能を与えたものではなく、行政権及び立法権のそれぞれの地位及び権能を充分尊重しながら、ただ司法権に託された法的保障機能を果すに必要な限りにおいて行政の内容を審査できるとしたものに過ぎないのである。このような司法権の地位に照らせば、行訴法二五条三項が「執行停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときはすることができない。」と規定した趣旨もここにあるといわなければならない。すなわち、同条二項に定める積極的要件が具備されている場合であつても、本案について理由がないとみえる場合についてまでも執行停止をすることは司法権の保障的機能の範囲を逸脱し、むしろその本来的機能に背馳するものであるからそのような場合には、裁判所といえども執行停止を禁じられているのである。なお、右に言う司法権の保障的機能に対する背馳ということについて、やや具体的に敷術するならば、たとえば不法入国を水際で現認された者で特在許可事情皆無の場合ないし入国審査官の認定に服したため法務大臣の裁決に至ることなく退去強制令書の発付を受けた場合であつても、原決定の論旨によれば、当該被発付者から取消訴訟の提起と執行停止の申立がありさえすれば常に送還部分については停止を決定しなければならず、不停止は憲法三二条の趣旨に適合しないことにならざるをえないわけである。すなわち、原決定は、たとえば、あらかじめ提訴ならびに執行停止申立の準備万端を整えたうえで自国を出発し、本邦上陸時に現認検挙された者であつても、送還部分については常に停止決定をすることが憲法三二条の趣旨に適合し、そのために令がとくに慎重を期して用意した審級的不服申立制度による退去強制手続の空文化がもたらされ、法務大臣の裁決も裁判所の判決を得るための単なる事前措置にすぎなくなり、我が国の出入国管理行政を停滞麻痺させてもやむをえないものとしているにほかならないのである。以上のことを想起しただけでも、右の背馳がいかに甚だしいものであり、広く我が国政全般の立場からみて勘えがないものであるか明女白女というべきである。しかも、このような執行停止の消極的要件はひとり我が国のみならず、近代的法治国制度を採用するフランス、アメリカ、イギリス等諸外国においても採用されているところであつて国際的普遍性を有するものである(行政法講座第三巻三一二頁参照)。

(三) しかるに原決定は、本案判決確定前に強制送還されることをもつて行訴法二五条二項所定の「回復困難た損害」に該当するとした点において、まず誤りを犯したうえ(原審意見書及び後記四のとおり)右の損害を避けるための必要性を過大に評価し偏重したため同法二五条三項の明文を無視することが許されるとの誤つた解釈をあえてしたものである。そして、かかる誤つた解釈・判断がむしろ憲法三二条の趣旨に合致するとした点において、原決定には単に行訴法のみならず憲法の解釈を誤つた違法があるものと言わねばならない。

(四) 更に原決定の執行停止の緊急の必要性の解釈自体にも次のとおり誤りがある。すなわち、原決定のごとく「請求の理由の存否について判断するまでもなく」執行停止すべきものとするならば、当然「本案について理由がないとみえるとき」にあたる場合についても執行停止することとなるが、本案請求に理由がないとみえるものについては、かりに行政処分が執行され、何らかの損害が発生するとしてもかかる損害は法律上当然にその発生が予定されているものであるから、何ら法の保護すべき利益が害されるとする余地はなく、行訴法二五条二項が規定する回復困難た損害を避けるための緊急の必要性は生じ得ないのである。しかるに原決定は、かかる場合についても執行停止の必要性を認めているのであるから、その失当であることは明らかである。

(五) さらに、退令執行停止一般のうち不法入国を退去強制事由とする場合には、「裁判を受ける権利」との関連においても右に言う「損害」の有無・性質に関し特殊・別個の角度から考察する必要がある。すなわち、そもそも不法入国者は、本来上陸拒否を受けるべきところ(出入国管理令〔以下単に「令」という。〕三条及び六条ないし九条)、ひそかに潜入することにより上陸拒否を免れたうえ事実上の在留を継続しているにすぎないものであるがら、その発覚後における退去強制の性格は本質において上陸拒否(令第二章・第三章)と相通じるものである。ただ、新たに本邦へ入国しようとする外国人の上陸拒否の場合は事実上の在留という事態そのものが未だ発生していないため、潜在不法入国者の場合のように事実上の在留およびその上に築かれた諸利益を言う余地が実際上存しないという点に差異があるにすぎない。しかし、不法入国者の場合に言われる右の利益それ自体は原始的・本来的に不法なものとして早晩否定(退去強制)さるべきことが当初から客観的に予定されている性質のものであつて、送還により、かりに生活基盤を失つたとしても、それは単に違法状態から合法状態へと原状回復がなされたに止まるのである。この意味において不法入国者の退去強制は新規入国者の上陸拒否の一形態とも言えるものであり、現にイギリスにおいては、そのような法制をとつているのである(イギリス外国人令九条別紙)。すなわち、不法入国者に対する退去強制と上陸拒否との差異は現実に国外に退去させられる時点という点に存するだけであつて、法的保護に値する性質のものとしての利益が存しないという点では両者の間に何ら本質的差異はないのである。不法入国者は、その事実上の在留の全期間を通じて、法的保護に値する利益は一瞬たりともこれを享受したことはないのであつて、この点で、たとえば適法在留中の者が刑罰法令違反等(令二四条四号)により退去強制される場合とは全く異なる面を有するのである。しかるに、原決定のごとく、かかる差異を無視して単なる「利益」の喪失即行訴法二五条二項所定の「損害」と速断して容易に執行停止するのは、究極において我が国の領土主権に対する侵犯を看過・庇護する姿勢に通じるものというべきである。不法入国者の退去強制が右のように原状回復措置にすぎない以上、本案において不法入国の事実そのものを争うのでないかぎり、「単なる利益」の喪失をもつて同条項所定の「損害」ありと主張することは、それ自体甚だしく身勝手の論とも言うべきものである。

2 原決定は行訴法二五条三項の解釈に関する大阪高等裁判所等の決定例に反するものである

(一) すなわち、韓国人李撤沫にかかる退去強制令書執行停止申立事件(大阪地裁昭和四九年(行ク)第九号、本案昭和四九年(行ウ)第二七号)について大阪地裁第七民事部は、昭和四九年四月一五日本件決定と同様、「……処分の適否の点についての判断はしばらくこれを措き……」、「……このような場合は、請求の理由の存否について判断するまでもなく強制送還部分の執行の停止を許すべきであり、……」とし退去強制令書の執行のうち強制送還部分の執行停止をしたのであるが、右決定に関する抗告審(大阪高裁)昭和四九年(行ス)第七号)において大阪高裁第七民事部は昭和四九年七月一八日、抗告棄却決定をなしたが、その理由中に明らかなとおり同決定においては行訴法二五条三項に規定する本案についての理由の有無についての判断を示したうえで「申立は強制送還部分にかぎり本案判決が確定するまで停止を求める限度において理由があり、これと同旨の原決定は『本案について理由がないとみえるとき』には該当しないことについて判断していないが、結局相当であつて本件抗告は理由がない。」として行訴法二五条三項が規定する執行停止の右要件については当然判断すべき旨の解釈を示しており、また更に大阪高裁第八民事部は韓国人柳永図にかかる退去強制令書執行停止申立抗告審決定(昭和四九年(行ス)第一八号、同第一九号、昭和五〇年一月二一日決定)および朝鮮人張甲守にかかる同一事件抗告審決定(昭和四九年(行ス)第一〇号、昭和五〇年一月三〇日決定)においても同一趣旨の判断を示しているのであるから、本件決定は右高裁決定の判旨に反するものである。

(二) また、行訴法二五条三項に規定する要件については、その存否について各裁判所とも判断を示しており、最近における例として韓国人康公沢にかかる退去強制令書執行停止申立(福岡地裁)昭和四九年(行ク)第一七号昭和四九年九月二四日決定)及び同抗告審(福岡高裁昭和四九年(行ス)第二号昭和四九年九月二五日決定〔訟務月報二〇巻一二号九四頁〕)及び韓国入全充圭にかかる退去強制令書執行停止申立(〔名古屋地裁昭和五〇年行ク第三号昭和五〇年四月三日決定〕)においては緊急の必要性という要件に関しては本件と異ならないのに、いずれも、その本案について理由がないとみえるときにあたるとの理由により、それぞれ却下及び棄却しているのである。

また、従来の抗告審決定において原審が退令執行(全面)停止したものについてすら「本案について理由がないとみえるとき」にあたるとして原決定が取り消され申立却下としていることに徴しても本決定が失当であることは明らかである(昭和四二年三月)九日仙台高裁決定昭和四一年(行ス)第二号金孟嬢事件訟務月報一三巻四号四六八頁、昭和四五年四月一三日東京高裁決定昭和四五年(行ス)第四号禹昌信事件)。

(三) 原決定は「送還されたことになれば、申立人の提起した本案訴訟がその目的を達しえなくなり、裁判を受ける権利が実質的に侵害され、回復困難な損害を被る」としている。

しかしながら、原決定のごとく本案訴訟の維持という利益が失われることをもつて行訴法二五条二項に規定する回復困難な損害にあたるとすることは本案の提訴ないし訴訟係属という事実自体を理由に執行停止の必要性を認めるにほかならず行訴法二五条二項についてのかかる解釈は訴の提起によつては処分の効力、執行が停止されないことを規定した行訴法二五条一項の趣旨を没却するものであつて、明らかに失当である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例